「大正製薬」 ロゴ・ロゴマークの変遷

風邪薬「パブロン」や栄養ドリンク剤「リポビタンD」で知られる「大正製薬」のロゴ・ロゴマークの変遷について解説します。

大正製薬とロゴ-大正製薬の前身「大正製薬所」の創業-

大正製薬は、小さな薬局の開店から始まりました。

創業者の石井絹次郎は、個人商店「泰山堂薬局」を興した後、1912年(大正元年)に「大正製薬所」を創業しました。大正元年の創業であったことに因んで、「大正」という元号を社名に採用したといわれています。

1926年には、初代ロゴが誕生しました。創業者である石井家の家紋「かたばみ」を採用したものであり、ハート形が3個寄り集まった花のような意匠でした。

大正製薬所の初代ロゴ

1927年には、風邪薬としてお馴染みになった「パブロン」が販売されました。

風邪薬「パブロン」
出典:brand.taisho.co.jp

「パブロン」は、当時の日本人が飲み慣れていた水溶性の栄養剤に解熱剤を入れて、粉状にした画期的な風邪薬でした。それまでの風邪薬に比べて格段に即効性があり、たちまち人気を博しました。

昭和初期になると、2代目のロゴが誕生しました。初代ロゴで認めた3枚の花弁が離れ、その花弁に社名である「大正製薬所」を英訳した「Taisho Phamaceutical Company」の頭3文字が描かれました。

大正製薬所の2代目ロゴ

1939年になると、大正製薬所が推し進めた薬局・薬店のチェーン店(鎖)化を図案に盛り込んだ、3代目のロゴが誕生しました。

大正製薬所の3代目ロゴ

大正製薬とロゴ-新たな改革に着手-

1946年に、上原正吉(正吉)が大正製薬所の3代目社長に就任すると、同社を薬局・薬店向け一般用医薬品のトップ企業にけん引すべく、一つの改革に着手しました。

大正製薬の3代目社長、上原正吉
出典:www.ueharazaidan.or.jp

正吉は全てのスタッフに対して、「紳商」という精神を 唱えることから始めました。

紳商とは、「生活者に対して胸を張れるよう『正直・勤勉・熱心』に、紳士的なビジネスを実践すること。正直が、一番良い結果を残す」というものでした。

また、当時の大正製薬所は、卸問屋を通じて薬を小売店に販売していましたが、 正吉は「問屋頼りの商売では大成しない」と考えました。

そこで、問屋を通さずに小売店と直接取引を行う直販方式を採用しました。さらに、個人会社だった大正製薬所を株式会社化して、小売店に株を買ってもらう「特約株式制度」を作りました。

このシステムによって、大正製薬所と取引のある小売店にも大きな利益が生まれることになりました。

正吉はその後も、薬局や薬店を「コミュニティにおける健康情報発信基地」として位置づけ、全国のチェーン店との絆をより一層深めていきました。

こうした改革によって、全国の薬局や薬店のほぼ75%を、大正製薬所の製品を扱う販売チェーン店として組織化することに成功したのです。

3代目のロゴに採用されたチェーン店(鎖)化の構想を、最良の形で推し進めた結果だといえます。

その後、この鎖風のロゴを、よりシンプルにした4代目のロゴが誕生しました。

大正製薬所の4代目ロゴ

大正製薬とロゴ-社名を「大正製薬」へ-

1948年に、大正製薬所は現在に続く「大正製薬株式会社(大正製薬)」に正号(社名)を変更しました。

1950年になると、日本が世界に類を見ない高度経済成長に突入し、個人特需に沸く消費者に向けて、社名を積極的にアピールする必要が出てきました。

そうした目的から、社名を冠した初代ロゴが登場しました。

大正製薬の初代ロゴ

1952年には、社名を英語表記に変えた2代目のロゴが登場しました。

大正製薬の2代目ロゴ

1953年に民放テレビが開始されると、正吉はいち早く大正製薬のコマーシャル(CM)を流して、消費者に向けた大々的なアピールを開始しました。

当時、民放テレビで広告を打つことに対して、社内から懐疑的な声があがりましたが、正吉はその反対を押し切りました。

日本は多様性の時代に突入するため、消費者に売り込みをかけない企業は衰退することを予見していたのです。

また、テレビの大いなる可能性を感じていた正吉は、CMにおいて一目で大正製薬をアピールできる新たなロゴが必要になることを直感しました。

正吉は新しいロゴの条件として、

  • 世界中の老若男女誰が見ても何の形か分かること
  • (テレビだけでなく、ラジオの宣伝も意識して)その形は耳で聞いても分かる形であること

この2点を掲げました。

最終的に5~6つに絞られた候補の中から、より分かりやすく、それでいて力強く、将来に向けて羽ばたいていく同社のイメージと重なる「鷲」のロゴが採用されました。

そして1955年に、「鷲のマーク」として3代目のロゴが登場しました。全国のチェーン店には、「鷲のマーク」入りの看板が大々的に掲げられました。

大正製薬の3代目ロゴ

1962年になると、栄養ドリンク剤「リポビタンD」が販売されました。

栄養ドリンク剤「リポビタンD」
出典:brand.taisho.co.jp

リポビタンDは、販売方法に2つの画期的なアイデアを取り入れたといわれています。

一つ目は、(今では当たり前になっている)ドリンク剤を冷えたまま販売する「冷蔵ストッカー」の導入でした。冷蔵ストッカーは、リポビタンDが元祖だといわれています。

冷蔵ストッカ―
出典:www.nttcom.co.jp

二つ目は、「リポDタワー」と呼ばれる、店内に商品のパッケージを山積み陳列する演出でした。

リポDタワー
出典:www.nttcom.co.jp

小売店から「たくさんの箱を保管する場所がない」と言われ、試しに店内にリポビタンDの箱を山積みしたところ、売り上げがそれまでの何倍にも膨れ上がったことから生まれたアイデアでした。

1980年には、鷲のマークの下に社名が書かれた4代目のロゴが登場しました。

大正製薬の4代目ロゴ

1983年には、写実的な鷲のマークがデフォルメされた5代目のロゴが登場しました。

大正製薬の5代目ロゴ

1984年には、社名を外した6代目のロゴが登場して、現在に至っています。

大正製薬の6代目ロゴ

「鷲のマークの大正製薬」のキャッチフレーズと共に、大正製薬のロゴは広く一般に浸透しています。

[参考書籍]

1)本間之英「図解 誰かに話したくなる社名・ロゴマークの秘密」<GAKKEN>

2)成美堂編集部編「日本のロゴ シンボルマークとしての由来と変遷」<成美堂出版>