セレンディピティとは~幸運な偶然のすべて~[まとめ]

「セレンディピティ」という言葉は、近年、ノーベル賞授賞式の席で、多くの科学者たちがセレンディピティの存在を口に出したことで、やがて世界中で使われるようになりました。

ここでは、セレンディピティの意味と語源、具体的な例など、セレンディピティに関するすべてをご紹介します。

セレンディピティの意味とは

「セレンディピティ」の意味は、「探してもいなかったものを偶然に発見すること」です。

1945年に、アメリカの社会学者ロバート・マートンが、科学者にとって予想外の偶然が、発見や発明のきっかけとなる事例が多いことに注目して、論文として発表しようと考えました。

この現象にぴったりの言葉を、偶然にも辞書で発見して以来、多くの科学者たちがこぞって「セレンディピティ」という言葉を使い始めるようになりました。

セレンディピティの意味は、現在では解釈が多少異なり、「 幸運な偶然を手に入れる力」や「予期していない偶然によってもたらされた幸運」という意味で使われる機会が多くなっています。

セレンディピティの語源とは

セレンディピティは、ペルシアのおとぎ話「セレンディップの3人の王子たち」が深く関係しています。

セレンディップの三人の王子たち
出典:kaiseisha.co.jp

セレンディピティという言葉は、イギリスの文筆家、ホレス・ウォルポールが、幼年時代に読んだ「セレンディップの3人の王子たち」のエピソードから着想を得て、創作した造語でした。

ホレス・ウォルポール伯爵 (1717-1797)
出典:Wikipedia

セレンディピティという言葉をつくったホレス・ウォルポールとは、一体どのような人物だったのでしょうか?

ホレス・ウォルポールは、1717年に貴族の家に生まれ、のちに4代目オーフォード伯を継ぎました。イギリス議会の下院、ホイッグ党の党員として働きながら、多くの著作と書簡を残しました。

働かなくても楽に暮らせる収入があり、様々な品物を無差別に収集していました。そのため、ホレス・ウォルポールの別荘は、奇妙な品物で埋め尽くされていたといいます。

また、言葉も収集していて、時に新たな言葉を造り出していました。セレンディピティも、そこで生まれた言葉の一つでした。

ホレス・ウォルポールは、ヨーロッパ旅行中にフィレンツェ駐在の英国公使ホレス・マンと親しくなったことがきっかけで、45年間の長きに渡り、じつに1800通を超える手紙を取り交わしています。

1754年1月28日付でホレス・マンに宛てた手紙の一節に、問題の「セレンディピティ」という言葉を初めて誕生させました。

ここからは、ホレス・ウォルポールがホレス・マンに宛てた実際の手紙の内容をご覧ください。

「……それは非常に表現豊かな言葉で、これに勝る話題はありませんから、うまく説明できるよう努めてみましょう。それには、言葉の定義を下すよりも、ことの由来を述べるほうが分かりやすいと思います。私は以前、「セレンディップの三人の王子たち」という素朴なおとぎ話を読みましたが、王子たちは旅をしている間に、いつも偶然と才気によって、探してもいないものを発見します。たとえば、ひとりの王子は右の目が見えないロバ(ラクダの記憶ちがい)が同じ道を通った事実を発見しますが、それは道路の右側よりも左側に生えている草のほうが質がわるいのに、左側の草だけが食べられていたからでした。……これで、「セレンディピティ」とは何のことかお分かりでしょうか?

文典:竹内慶夫訳「セレンディップの3人の王子たち」『T.G. Remer, ed. : Serendipity and the Three Princes, From the Peregrinaggio of 1557 : Norman, Univ. Oklahoma Press, 1965』

この手紙の内容は、1818年から1833年の間にかけて、ホレス・ウォルポールが刊行した書簡の最終巻に、この手紙の内容が収録されています。

つまり、「セレンディピティ」という言葉が日の目を見たのは、1833年ということになります。

セレンディピティが世界中に広まった背景とは

1833年、ホレス・ウォルポールが刊行した書簡に「セレンディピティ」が登場して以来、この言葉は永らく埋もれていました。

1878年、イギリスの雑誌「ノーツ・アンド・クウェアリーズ」にて、学者のエドワード・ソリーとアンドリュー・ラングの2人がセレンディピティについて討論し、ようやく日の目を見ました。

その後、1912年に、セレンディピティがオックスフォード英語辞典に初めて登場しました。

そして、セレンディピティが科学の世界に広まるきっかけをつくったのは、ハーバード大学の生理学教授、ウォルター・ブラッドフォード・キャノンでした。彼は、著書「研究者の道」の第一章に、セレンディピティを登場させました。

さらに決定打は、アメリカの社会学者、ロバート・マートンが1945年に発表した論文でした。

ロバート・マートンは当時、科学者にとって予想外の偶然が、発見や発明のきっかけになる事例が多いことに注目して、論文として発表しようと考えていました。

この現象にぴったりの言葉を、偶然にもオックスフォード英語辞典で発見して、論文に用いました。

1945年を契機として、セレンディピティという言葉は、世界中に「爆発的に広まっていくことになりました。

その反面、ホレス・ウォルポールが意図した本来の意味は、徐々に薄められていくことにもなりました。

セレンディピティの本来の意味とは

現在、セレンディピティは「 幸運な偶然を手に入れる力」や「予期していない偶然によってもたらされた幸運」といった意義で用いられることが多くなりました。しかし、本来のセレンディピティの意味は少々異なります。

マンに宛てたホレス・ウォルポールの手紙から、セレンディピティを表す3つのキーワードを見つけることができます。

  1. 偶然
  2. 才気
  3. 探していないものを発見する

この3つが、セレンディピティを表すキーワードになります。

ここでいう「才気」とは、「才知(才能と知恵)の優れたはたらき(広辞苑より抜粋)」を意味します。つまり、「才能と知恵を使って、偶然にも探していないものを発見する能力」こそが、ウォルポールがセレンディピティに込めた本来の意味なのです。

そして、セレンディピティを発見する鍵は、偶然を生かすことができるかどうかで、やはり観察者の心構えに委ねられます。

自らがやるべき事柄に集中して、ときに意図しない周囲の出来事にも先入観なく反応できる心を備えておく必要があります。そして、気がついた偶然を、意味のあるものへと解析する能力も求められます。

この言葉に従うとすれば、努力なくして、セレンディピティは発見できないことになります。才能と知恵をしっかりと身につけた先にはじめて、本来追及していたものとは違う何かを偶然に発見することができるのです。

セレンディップの3人の王子たちのあらすじ

「セレンディップの3人の王子たち」は、M・クリストフォロアルメーノがペルシア語からイタリア語に翻訳して、16世紀にイタリアのヴェニスで初めて出版されました。

「セレンディップの3人の王子たち」の「セレンディップ」とは、現在のスリランカにあたる、セイロン島の古い名称のことです。

そのため、現代に正すと「セイロン島の3人の王子たち」という表題になります。

物語のあらすじは、次のような内容になります。


セレンディップの王であるジャファールは、息子である3人の王子たちが各地を遍歴して、他の民族の慣習を学ぶことを望みました。王子たちは王に従い、セレンディップを離れて旅に出ます。

王子たちは、旅の途中で様々な出来事に遭遇します。しかし、並外れた洞察力によって、元々探すはずのなかった有益な何かを、偶然に発見していきます。

セレンディピティに関する科学者の名言

ガリレオ・ガリレイ

ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)
出典:Wikipedia

「振子の等時性」や「落体の法則」の発見、自作の望遠鏡を使った天体観測など、多くの功績を残した天文学・物理学・哲学者のガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は、次のように述べています。

どんな真実も、発見してしまえば誰でも簡単に理解できる。大切なのは、発見することだ。

ガリレオ・ガリレイ

文典:藤島昭(編)「時代を変えた科学者の名言」

ルイ・パスツール

ルイ・パスツール(1822-1895)
出典:Wikipedia

ワインの腐敗を防ぐ低温殺菌法や狂犬病のワクチンの開発など、数々の業績を残した生物学者・自細菌学者のルイ・パスツール(1822-1895)は、次のように述べています。

どんな人に偶然が起こるか観察したことはあるだろうか?発見のチャンスは、準備のできた人だけに訪れるものだ。

ルイ・パスツール

文典:藤島昭(編)「時代を変えた科学者の名言」

アンリ・ポアンカレ

アンリ・ポアンカレ(1854-1912)
出典:Wikipedia

19世紀のフランスの数学者、科学思想家アン・ポアンカレ(1854-1912)は、ある残な有名な言葉を残しています。

偶然は、それを受け入れる準備ができた精神にのみ訪れる

アン・ポアンカレ

発明とは、無益な組み合わせを排除して、ほんのわずかしかない有用な組み合わせだけを作ることだ。発明とは見抜くことであり、選択することなのだ。

アンリ・ポアンカレ

文典:茂木健一郎「プロフェッショナルたちの脳活用法」

文典:シーナ・アイエンガ-(著)櫻井祐子(訳)「選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義」

アルベルト・アインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(1879~1955)
出典:Wikipedia

ドイツの理論物理学者であり、1921年にノーベル物理学賞を受賞したアルベルト・アインシュタイン(1879~1955)は、次の言葉を残しています。

一つは、奇跡などなにも起こらないと思って生きること。もう一つは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること。

アルベルト・アインシュタイン

文典:西沢泰生 「壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方」

クリントン・デイヴィソン

クリントン・デイヴィソン(1881-1958)
出典:alchetron.com

1926年に「物質の粒子は波のような性質をもつ」というド・ブロイの仮説を証明した科学者クリントン・デイヴィソン(1881-1958)は、ノーベル物理学賞の受賞時に次のように述べています。

われわれは洞察力があったというよりも、チャンスに恵まれていたというべきだろう。実際には、1919年に偶然発見したことがきっかけだった。そして、またもチャンスに恵まれたのだ。(電子が波のように弾むことを)発見したのは偶然としか言いようがない。

クリントン・デイヴィソン

出典:リチャード・ゴーガン(著)北川玲(訳)「天才科学者のひらめき36」

エンリコ・フェルミ

エンリコ・フェルミ(1901-1954)
出典:Wikipedia

ベータ崩壊理論の完成や熱中性子の発見などを発見した物理学者エンリコ・フェルミ(1901-1954)は、ノーベル物理学賞の受賞時に次のように述べています。

実験には二つの結果がある。もし結果が仮説を確認したなら、君は何かを計測したことになる。もし結果が仮説に反していたら、君は何かを発見したことになる。

エンリコ・フェルミ

文典:藤島昭(編)「時代を変えた科学者の名言」

コンラート・ローレンツ

コンラート・ローレンツ(1903-1989)
出典:oexplorador.com.br

動物行動の観察から「刷り込み」の現象を発見し、1973年にノーベル生理学・医学賞を受賞した動物行動学者コンラート・ローレンツ(1903-1989)は、次のように述べています。

誰もが見ていながら、誰もが気づかなかったことに気づく、研究とはそういうものなのだ。

コンラート・ローレンツ

ロビン・ウォレン

ロビン・ウォレン
出典:Wikipedia

ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)が十二指腸潰瘍の原因になることをつきとめたロビン・ウォレン博士は、2005年にノーベル生理学・医学賞を受賞した際、次のように述べています。

新しい発見には、いつも「運」という要素がつきものだが、私の場合、これほど重要なものを発見できたのは本当に「運」のおかげだ。「幸運」というか、セレンディピティという言葉が一番しっくりくると思う。私は然るべき時に然るべき場所にいた。そして、然るべき関心と技術を持ちあわせていたため、事実を見過ごさずに済んだのだ。

ロビン・ウォレン

文典:リチャード・ゴーガン(著)北川玲(訳)「世界を変えた大発見物語」

セレンディピティの例<音楽の誕生編>

ザ・ビートルズの「イエスタデイ」誕生

セレンディピティの例<食品・飲料の発明編>

サンドウィッチの発明

出典:ufs.co.jp

1762年頃、イギリスにて、ジョン・モンタギューは食事もままならないほど多忙な状態が続いていました。

時間を節約するために、パンの間に肉をはさんでほしいと料理人に命じたことがきっかけで、新しい料理が誕生しました。

その料理は、ジョン・モンタギューがイングランド貴族の伯爵位の一つ、第四代サンドウィッチ伯爵であったことから、サンドウィッチと呼ばれるようになりました。

炭酸水の発明

出典:sodamakerclub.com

炭酸水(または炭酸飲料)とは、炭酸ガスを含む水のことで、自然の泉によく見られる泡を人為的に模倣して作り出したものです。

1771年、イギリスの研究者ジョゼス・プリーストリーが、石灰石と硫酸を反応させ、発生した炭酸ガスを水に溶かす方法を発明したことで、炭酸水が誕生しました。翌1772年、プリーストリーは本を著し、炭酸水の効能について詳しく解説をしました。

興味深いことは、炭酸水の発明には、プリーストリーの幼少期の体験が影響していたことです。プリーストリーは、ヨークシャーの醸造所の近郊で育ちました。そのことで、10代の頃から、穀物が発酵し、貯蔵所の上を炭酸ガスが「泡のように漂っている」ところを毎日のように見ていたのです。

まさに、セレンディピティです。ところが、プリーストリーは、せっかく発明した炭酸水の商業的可能性を追求する時間的余裕もなければ、追求しようという気持ちもありませんでした。

その後、サミュエル・ファーネストックが、1819年に炭酸飲料の自動販売機を発明して、ようやく今日のような人気を獲得しました。

コカ・コーラの発明

出典:Pinterest

かつてアメリカ合衆国のジョージア州アトランタに薬剤師のジョン・ペンバートン博士(ペンバートン)がいました。ペンバートンは、数多くの治療薬を発明して、販売していました。

ある日、ペンバートンが店の奥に入ると、従業員の二人がある飲み物を飲んでいました。

それはなんと、ペンバートンが新しく発明したシロップ状の頭痛薬だったのです。従業員たちは、特に頭が痛かったわけではありませんが、その頭痛薬を水で割って飲んでいたといいます。

ペンバートンはその時、店の品物に手をつけた従業員たちを叱りませんでした。

何故か自分でも興味がそそられたし、水で割った頭痛薬を飲んでみると、その理由がよく分かりました。実に美味しかったのです。

この時、ある直感がはたらいたといいます。ソーダ水を入れて泡を出せば、もっとよくなるに違いないと。こうして発売された飲み物が、「コカ・コーラ」なのです。

また、「コカ・コーラ」のロゴに関する話も非常にユニークです。

印象的な「コカ・コーラ」のロゴは、広告代理店やデザイナーが考えたものではなく、ペンバートンの仕事上のパートナーであったフランク・M・ロビンソンが売り上げ記録をつけていたノートに書いていたものをそのまま採用したのです。

ポテト・チップスの発明

出典:indiamart.com

1853年、ジョージ・グラムは、ニューヨークにあるレストラン「ザ・ムーン・レイク・ロッジ」でコックをしていました。

ある時、レストランを訪れたアメリカの大富豪、コーネリアス・ヴァンダービルトに、フライドポテトが厚すぎると文句を言われました。

そこで、薄いフライドポテトなど美味しくないと分からせるため、ジャガイモをあり得ないほど薄くスライスしたのです。

ところが、ジョージ・グラムの計画は、当初の思惑とは違う結果になりました。

文句を言ったコーネリアスの前に、こんがり茶色に揚がった薄っぺらいフライドポテトが届けられました。コーネリアスが一口食べてみると、パリパリとして、とても美味しかったのです。

他の客もみんな、そのフライドポテトを食べたがりました。ジョージ・グラムの発明品は、まもなく工場で何千箱も作られるようになりました。

1920年代になると、自動皮むき器が発明され、大量のポテトチップスが作られるようになりました。

現在、アメリカでは「ポテトチップス」、イギリスでは「クリスプス」と呼ばれ、ほとんど世界中で愛されているスナックです。アメリカでの売り上げは年間60億ドルを超えます。

チューイングガムの発明

クリームソーダの発明

出典:ii-fake.com

1874年、アメリカのフィラデルフィアで、ロバート・グリーンは炭酸飲料を売っていました。

売っていた商品の中には、炭酸水に生クリームとシロップを混ぜたものがありました。

ある日、生クリームを切らしてしまい、代わりにバニラクリームを入れました。誰にも気づかれないようにこっそりと。

客にはすぐに気づかれましたが、その美味しさから、たちまち世界中で愛される人気商品となりました。

シリアル「コーンフレーク」の発明

ティーバッグの発明

出典:amazon.co.jp

1908年、ニューヨークの茶商人トーマス・サリヴァンは、紅茶の注文を何とか増やしたいと考えた末、茶の見本を顧客に配る新たな方法を考え出しました。

紅茶を小さなシルクモスリンの袋に入れて縫い合わせたのです。そうすれば輸送が簡単だし、受取人が難なく中身を出すことができるからです。

ここで、思わぬ偶然が起こりました。

顧客の中に、袋のままお湯につけて紅茶を煮出してしまう者がいました。この光景を見たサリヴァンは、「ティーバッグ」のアイデアをひらめきました。

シルクのメッシュは目が細かすぎるという顧客の提案に応えて、かわりに綿のガーゼを使用したティーバッグが誕生しました。

その後、綿のかわりに紙が使用され、現在の形に近い、細い糸と装飾されたタグがつけられたものが登場しました。

紅茶の人気フレーバーの発明

出典:wholesale.theteasmith.com

アメリカとカナダのレストランにアイスティーを収めている「チャイナ・ミスト・ティー」は、優れた香りが自慢の会社です。

フルーツ風味の紅茶を作っていた時、偶然にも3つの材料が最後に残りました。この残った材料は、捨てられる代わりに、混ぜ合わされ、抜群に人気のある紅茶になりました。

紅茶の人気フレーバー「ミックス・ベリー・フレーバー」が誕生した瞬間でした。

チョコチップクッキーの発明

出典:meiji.co.jp

1930年代、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州にあるトールハウス・インというホテルで、ルース・ウェイクフィールドはチョコレート味のバタークッキーを焼いていました。

予定では、刻んだチョコを溶かして生地に混ぜるつもりでしたが、急いでいたために溶かすのはやめて、刻んだだけのチョコレートを生地に混ぜました。

焼けている間に中で溶けると思ったのですが、出来上がったのは、中に小さい塊のままのチョコレートが入ったバタークッキーでした。

この失敗のおかげで、みんなが大好きなチョコチップクッキーが誕生しました。

人工甘味料「ニュートラスイート」の発明

出典:lieve.tsupate.com

1965年、アメリカ合衆国の製薬会社「サール」において、ジェームズ・シュラッターは、潰瘍を治療する新薬の開発に取り組んでいました。

研究の最中、新薬が誤って指につきましたが、シュラッターはそのことに気がつきませんでした。その後、紙を取ろうとして指を舐めたところ、舌に強い甘みを感じました。

この偶然によって、甘さが砂糖の200倍もあり、それでいて低カロリーの人口甘味料「アスパルテーム」が誕生しました。

アスパルテームに「ニュートラスイート」という名称をつけ、大々的に売り出したことで、製薬会社「サール」は大成功を収めました。

現在、人工甘味料はダイエット飲料をはじめ、ガム、アイスクリーム、ヨーグルトなどに幅広く使われています。

不可能といわれた自然農法による「奇跡のリンゴ」

出典:edgeline-tokyo.com

1978年、青森県の農家である木村秋則さんは、農薬も肥料も一切使わないリンゴ栽培を決意します。しかし、それは果てしない挑戦であり、苦難の連続でした。

自然農法によるリンゴ栽培への挑戦から6年目、リンゴが実らず、技術的にも経済的にも限界に追い込まれた木村さんは、死を決意して山に入りました。首を吊るための木を探していたとき、山奥で自生するリンゴの木に出合ったのです。

「なぜ、山に生えている木は、農薬をまかないのに病気にならないのだろうと思い、肩よりも伸びている雑草をかき分けて、手で地面を掘りました。そして、匂いを嗅いでみたところ、鼻にツーンとくる放線菌の匂いがしたわけです。そのとき、この土を再現すればいいんじゃないかと、そう思ったんですね。地上のものだけを見てきた自分の愚かさに、初めて気がついたわけです。目に見えない土の中を見ることが、じつはもっとも大事だったのではないか、と」

山奥で出合った木は、実際にはドングリの木でした。しかし、それを「リンゴの木かもしれない」と思わせた脳こそ、木村さんのセレンディピティにほかなりません。

死を決意しながらも、木村さんは、自然農法によるリンゴ栽培を実現するためのパズルのピースを貪欲に探し求めていたのです。

その敏感なアンテナが、山奥で自生していたドングリの木を見つける結果につながりました。そして、その木の周辺の土壌に、図らずも奇跡への糸口が潜んでいたのです。

それから数年後、木村さんは、実現不可能といわれた自然農法によるリンゴ栽培に成功しました。収穫されたリンゴは、「奇跡のリンゴ」と呼ばれるようになりました。

ポカリスウェットの発明

出典:ekenkoshop.jp

「ポカリスウェット」は、大塚製薬を代表する清涼飲料水です。

この商品が生まれたきっかけは、大塚製薬の社員が海外出張で体調を崩してしまったことがきっかけでした。現地で診察を受けたところ、医師は社員に「水分をたくさん摂るように」と言いました。

しかし、出張先では、ただでさえ飲み物が入手困難な上、病気の身に適した吸収の良い飲み物などありませんでした。

そんな社員の体験から、大塚製薬は「生理的で身体に優しい水分補給」をテーマに考えるようになりました。

その後、大塚製薬が従来手がけていた、水分補給に用いられる点滴輸液を、長時間の手術で疲労した医師が飲むという話を知った社員が、点滴輸液を飲料にも応用できると考え、1980年に「ポカリスウェット」が誕生しました。

セレンディピティの例<科学の発見編>

「万有引力の法則」の発見

X線の発見

ペニシリンの発見

出典:Wikipedia

1920年代、アレクサンダー・フレミングがより強力な抗生物質の開発に取り組んでいたときのことでした。

アレクサンダー・フレミング(1881-1955)
出典:Wikipedia

ペトリ皿で培養したバクテリアを顕微鏡で観察していたところ、うっかりペトリ皿のふたを閉め忘れてしまい、そこにいくつかのカビの胞子が落ちてしまいました。

偶然にも、そのカビの胞子には、バクテリアを殺す成分をもつ物質が含まれていたのです。これがきっかけとなり、フレミングは抗生物質「ペニシリン」を発見することに成功しました。

「ペニシリン」の発見は医学史上、最大の進歩の一つとして、現在でも高く評価されています。

セレンディピティの例<製品の発明編>

自動車のタイヤの発明

出典:g-mark.org

1800年代初頭、ヨーロッパとアメリカで、ゴムを巡る空前のブームが起きました。

ゴムの特徴は、しなやかで水を通さず、伸縮するところにありましたが、寒いともろくなり、暑いと溶けるのが難点でした。

チャールズ・グッドイヤー(1800-1860)は、冬の寒さにも夏の暑さにも強いゴムを開発してみせると固く心に誓いました。

ゴムに様々な材料を混ぜる実験を続けていた所、いつまでも完成しない実験を街の人にからかわれました。

これに腹を立てたチャールズ・グッドイヤーは、硫黄を混ぜたゴムをストーブに投げつけてしまいました。

ストーブで熱せられたゴムは、なんと、解けるどころか硬く変化しました。

この偶然によって、硫黄を混ぜたゴムに熱を加えると、丈夫で安定し、ゴムならではの特性も失われないことに気が付いたのです。

弾力性に富んだ丈夫なゴムは、さまざまな形状に加工しやすく、とりわけ車のタイヤには適していました。この発明が自動車のタイヤの誕生につながったのです。

ドライクリーニングの発明

出典:kajitaku.com

1825年、フランスのジャン=バティスト・ジョリーは、うっかりランプの油を妻のテーブルクロスにこぼしてしまいました。

シミにならないようにゴシゴシこすっていると、テーブルクロスは石鹸で洗ったときよりも綺麗になりました。

この偶然から、ジョリーはドライクリーニングを発明しました。

今日のドライクリーニングでは、油は匂いがつきやすく、引火しやすいため、別の液体が使われています。

リーバイスのジーンズの発明

出典:www.levi.jp

リーバイ・ストラウスは、ティーンエイジャーのときに、アメリカにやってきました。そして、ケンタッキー州に住み、行商人として働きました。

同じ頃(1848年頃)、カリフォルニア州では、金脈を探し当てて、一攫千金を狙う約30万人もの鉱夫たちが殺到する「ゴールドラッシュ」が起こりました。

この話を聞いたリーバイ・ストラウスは、サンフランシスコ行きの快速帆船に是が非でも乗りたくなりました。

ゴールドラッシュを目指す鉱夫たちに必需品を売って一儲けするために、色んな商品を船に持ち込み、売って回る計画を立てたのです。

その計画は功を奏し、持ち込んだ商品は何もかも売れました。ただ一つ、誰も欲しがらなかったテント用の帆布を除いて。

リーバイ・ストラウスは、サンフランシスコに着いた後で売れ残った帆布を売り、自分もすぐに金の採掘に出かけようと考えていました。

ところが、サンフランシスコに着いた後も、帆布はまったく売れませんでした。

市場に出かけたリーバイ・ストラウスは、品薄になっている商品の一つがズボンだということに気がつきました。採掘の仕事には、丈夫なズボンが欠かせなかったのです。

そこで、リーバイ・ストラウスは、サンフランシスコの仕立て屋を雇い、帆布を使ったオーバーオールを作らせました。

すると、そのオーバーオールはたちまち大人気となり、結局、金の採掘には行けなくなってしまいました。

そのかわり、リーバイ・ストラウスは、現在に続く「ジーンズ」という素晴らしい金脈を掘り当てたのです。

安全ピンの発明

出典:trendpride.com

1849年、アメリカ合衆国ニューヨーク州の機械工であったウォルター・ハント(1796-1859)は、「15ドル」というわずかな額の借金返済に思いを巡らせていました。

3時間に渡り、手元にあった針金を遊び半分でひねり回していたところ、偶然、思わぬ発明が誕生しました。

その発明こそ、今や便利な日用品として欠かせない製品である「安全ピン」でした。

ピンは決して新しいアイデアではなく、ハントがその形を発明する数世紀前からすでに存在していました。

しかしながら、従来のピンでは体を刺す危険があり、その欠点を克服した点で、ウォルター・ハントの発明は大きな価値がありました。

ワセリンの発明

出典:item.fril.jp

1859年、アメリカ合衆国のロバート・チーズブローは、採掘場で作業員たちが採油ドリルからワックスのようなものを削りとっていることに気がつきました。

削り取ったものを調べてみると、それは痛みを緩和し、傷を治すことが分かりました。研究を重ねた末、そのワックスを柔らかいゼリー状にした「ワセリン」を発明しました。

1870年、チーズブローは工場を設立し、安全性の高いスキンケア製品の商品化と量産化に成功しました。

現在では、ワセリンには薬効が認められていませんが、人間の皮膚の自然治癒力を引き出すとされています。

ダイナマイトの発明

破片が飛ばない「合わせガラス」の発明

道路の反射板「キャッツアイ」の発明

出典:japanese.alibaba.com

1933年の霧がかった夜、パーシー・ショーは曲がりくねった道を運転していました。

道の脇にいたネコの目が車のライトに反射して光ったお陰で、ショーは道路の溝に落ちずに済みました。

この時、道路の車線外への逸脱を防ぐアイデアをひらめきました。

ショーは、「キャッツアイ」という反射板を開発して特許を取り、自分の工場で生産して大金持ちになりました。

焦げ付かないフライパンの発明(テフロン加工)

出典:amazon.co.jp

1938年、アメリカ合衆国の企業「デュポン社」のジャクソン研究所において、科学者のロイ・プランケットは、冷蔵庫に使用する「冷媒」の研究をしていました。

プランケットは、新種の冷媒として注目されていた「フロン」のもとになる液体「テトラフルオロエチレン」をボンベに入れ、冷蔵庫で保管していました。

しばらくして、実験のためにボンベから取り出そうとすると、液体は固まっており、パラパラの白い粉になっていました。プランケットは不思議に思い、冷媒の研究から離れて、この未知の物質を調べることにしました。

この物質は、化学薬品や熱、油に強く、ツルツルと滑りやすい性質をもつことが判明し、デュポン社は「テフロン(ポリテトラフルオロエチレン)」と名付けました。

テフロンは、第二次世界大戦中、原爆の開発に必要となるフッ素などの化合物を保管する容器として使用されました。その後、熱に強く、ツルツルと滑りやすい性質を活かして、フライパンやアイロンなどの家庭用品にも使用されるようになりました。

瞬間接着剤の発明

出典:pattersondental.com

1942年、ハリー・クーヴァー(1917-2011)は、戦争で使用する高精度の照準器に必要な透明のプラスチックを開発していました。

数々の試作品を通して、不思議な化合物「シアノアクレリート」と出会いました。シアノアクレリートは、空気中の湿気にふれると、なんにでも簡単にくっついてしまう特徴があり、それが悩みの種でした。

しかし、その時は本来の仕事で忙しく、その存在は忘れ去られてしまいました。

10年後の1951年、ハリー・クーヴァーがジェット機のコクピットを覆う天蓋を開発していた時、ある偶然が起きました。

助手のフレッド・ジョイナーが、実験でシアノアクレリートを使い、機材を壊したことがきっかけで、その存在を再び思い出したのです。

高額な修理費がかかる機材損害の報告書を受け取った日の夕方、フレッド・ジョイナーは、瞬間接着剤「スーパー・グルー」を誕生させました。

電子レンジの発明

マジックテープ「ベルクロ」の発明

出典:amimu.es

1948年、スイス人の発明家ジョージ・ド・メストラルが、森の中を犬と散歩した時のことでした。

家に着いたメストラルは、ウールのズボンの裾にオナモミの種がくっついているのに気がつきました。

一つひとつ手でむしり取っていた時、オナモミの種が一体どんな風にしてズボンにくっついているのか疑問に思いました。

オナモミの種を顕微鏡で観察したところ、小さな鉤(かぎ)状になっていることがわかりました。ウールのズボンの生地は糸の輪からできており、オナモミの鉤がズボンの糸の輪に引っかかっていたのです。

メストラルは機織り職人と手を組み、一方がループ(輪っか)状のテープと、もう一方がフック(鉤)状のテープを、何度もくっつけたり剥がしたりできる「ベルクロ」を完成させました。

心臓のペースメーカーの発明

出典:medicalexpo.com

1950年代、アメリカ合衆国の医学生だったウィルソン・グレートバッチは、心臓病患者の拍動記録器について研究をしていました。

拍動記録器の一つに、わずかな電気の刺激を与えて患者の心臓を動かし続けるものがありました。しかし、皮膚を焼火傷させる恐れやスーツケース大の大きさがネックとなり、実用性は乏しいものでした。

ある日、うっかりしたグレートバッチは、別の部品を拍動記録器に差し込んでしまいました。

すると、拍動記録器は人間の心臓とまったく同じ動きをしました。ドクンと動き、止まり、またドクンと動いたのです。

その瞬間、グレートバッチはひらめきした。

2年後の1958年、グレートバッチは人間の胸の中に入る大きさの、拍動を整える心臓ペースメーカーを作りました。その後、それを動かすための特別な電池も開発しました。

グレートバッチは、後に次のように語っています。

「あの日感じたほどの喜びはもうないかも知れない。なにしろ自分が設計した5センチの電気装置が、生きている心臓をコントロールしたのだから。」

スーパー・カブの発明

気泡緩衝剤(プチプチ)の発明

防弾チョッキの発明

出典:amazon.co.jp

1965年、アメリカ合衆国のデュポン社に勤めていたステファニー・クウォレックは、車のタイヤに使われるスチールベルトの代用となる繊維の開発をおこなっていました。

クウォレックは、スチール同様の強さで、スチールより軽い繊維であれば、自動車の燃費を向上させることができると考えていました。しかし、完成したものは、まるで溶けない重合体(ポリマー)でした。

溶けないと繊維にできないため、困り果てたクウォレックは、偶然にも溶媒と混ぜて液化させてみました。

そうして出来上がった繊維は、なんと従来の約9倍もの硬度で、同じ重さの鋼鉄の約5倍もの強度を誇ることが判明しました。

あまりにも強い繊維は、「ケブラー」という名称がつけられ、宇宙服やスキー板、防弾チョッキなど、強さと軽さが求められる製品に使用されています。

曲がるストロー“フレックス・ストロー”

出典:news.1242.com

“浪速のエジソン”と呼ばれた発明家、坂田多賀夫(さかたたがお)が「フレックス・ストロー(曲がるストロー)」を閃いたのは、入院した友人を見舞ったことがきっかけでした。

友人がまっすぐなストローで水を飲むのに苦労する姿を見て、「ストローが曲がればよい」と気づいたのです。

しかし、製品化するには長い時間がかかりました。掃除機を真似て、ストローにも蛇腹(じゃばら)をつけてみたものの、曲げた時に蛇腹が崩れて割れてしまい、水が漏れてしまったのです。坂田は、なんとか解決策はないものかと考え続ける日々が続きました。

そんなある日、坂田は気分転換にと赴いた公園で、ある光景を目にしました。公園には、仲良く折り紙をする親子の姿がありました。

折り紙とは、あらかじめ折り目を付けることで、上手く様々な形を作っていく日本伝統の遊びです。

「そうか!ストローにも、あらかじめ折り目をつければよいではないか!」

この閃きがきっかけとなり、1964年、坂田は折り目を付けることで曲がった時にも力が分散し、蛇腹が崩れない仕組みを発明しました。

こうして「フレックス・ストロー(曲がるストロー)」は完成し、子供を中心に世界中へと広がっていきました。

フロントホックブラの発明

出典:wacoal.jp

日本の女性下着メーカーでトップシェアを誇るワコールが1978年に発売した「フロントホックブラ」の誕生には、ちょっとした偶然がありました。

当時の新商品だった「ガードル」のポスター撮影の際、カメラマンから「バックショットのガードルを綺麗に見せるために、ブラジャーのホックをなくしてくれ」という要請が入りました。

当時の担当者は、大慌てで後ろのホックをなくし、前にホックのあるブラジャーを撮影用に一つだけ作りました。こうして、新型「ガードル」のポスターは完成しました。

ところが、ポスターが店頭に飾られると、一般客の女性から「あのブラジャーはどこで売っているの?」と予想外の大評判になりました。

それを受けて、ワコールは改良を施し、正式に「プリリブラ・フロントホック」として発売しました。「プリリブラ・フロントホック」は、年間280万枚を売り上げる大ヒット商品となりました。

世界初の携帯型ゲーム機の発明

付箋(ポスト・イット)の発明

セレンディピティの例<キャラクターの誕生編>

ゲームキャラクター「マリオ」の誕生

マリオ
出典:nintendo.co.jp

ドラえもんの誕生

ドラえもん
出典:shopro.co.jp

ある寒い冬の日、「オバケのQ太郎」や「パーマン」のヒットで人気漫画家となっていた藤子・F・不二雄(不二雄)は、新連載のアイデアに悩んでいました。

不二雄は、ため息をつきながらこう呟きました。

「自分はいったい何年、同じことを繰り返してきたのだろう?アイデアを考えてくれる機械でも発明されたらいいのに・・・・。」

その時、ふとひらめきました。

「待てよ。アイデア発明機。これは面白いぞ!そんな便利な道具を主人公が持ってくるという漫画はどうだろう?」

不二雄はアイデアの断片をノートに書き始めました。と、その瞬間でした。

「フギャーッ!!」

外から大きな声が聞こえたのです。驚いた不二雄が窓を開けると、野良猫同士が喧嘩をしていました。

この光景で緊張の糸が途切れた不二雄は、窓を閉めて横に寝転がり、そのまま眠りについてしまいました。

何もしないまま朝を迎えて、あわてて飛び起きた不二雄が階段をかけ降りると、階下には長女のお気に入りのおもちゃ「ポロンちゃん」がありました。

ポロンちゃんとは、傾けると「ポロンポロン」と音が鳴る、丸い形をした起き上がりこぼし人形でした。

元々丸い形が好きだった不二雄は、ポロンちゃんに目線が奪われました。次の瞬間、脳内で点と点が線につながりました。

「便利な道具」「猫」「丸い形」。猫といえば、どら猫。どら猫の「ドラ」に、古くさい「えもん」という名前の主人公が、未来からやってきて、便利な道具で男の子を助ける。

ドラえもんが誕生した瞬間でした。

セレンディピティの例<スポーツの発明編>

バスケットボールの発明

背面飛びの発明(走り高跳び)

出典:Wikipedia

走り高跳びの選手ディック・フォスベリーは、コーチに指導された垂直飛びで成果を出せずにいました。

コーチは、フォスベリーが垂直飛びが得意ではないことを知ると、じきに彼への興味をなくしました。

フォスベリーは、昔やっていたはさみ跳びに戻して、色々と跳んでみるようになりました。

やがてフォスベリーは、はさみ跳びで失敗するのは、お尻がバーにあたってしまうからだということに気がつきました。

そこで、お尻を持ちあげるために体を後ろへ傾けるようになりました。こうして、世界で初めて後ろ向きにバーを飛び越える、背面飛びが誕生しました。

V字ジャンプの発明(スキー)

出典:minnesotamonthly.com

スウェーデンのスキージャンプ選手ヤン・ボークレブは、元々足がガニ股であったため、空中でスキーの先端がV字に大きく開くフォームになってしまいました。

ところが、板を揃えて飛ぶ方法が当たり前だった当時、このV字ジャンプは功を奏して、飛距離を伸ばすようになりました。

その結果、スウェーデン人として、最も成功したスキージャンプ選手になりました。現在、V字ジャンプは、スキージャンプにおける必須のフォームになっています。

セレンディピティの同義語・類義語「エウレカ」

セレンディピティの同義語・類義語として、古代ギリシアの数学者アルキメデスが、「浮力の法則」を発見した際に叫んだ「エウレカ」という言葉があります。

エウレカとは、ギリシャ語に由来する感嘆詞(Wikipedeaより引用)であり、セレンディピティと同様、何かを発見・発明したことを喜ぶ言葉として使用されます。

セレンディピティの反対語・対義語「残念な偶然」

セレンディピティの反対語・対義語は、「残念な偶然」になります。セレンディピティは、ごく稀に諸刃の剣となる場合があり、意図しない偶然が重なることで、残念な結果となることがあります。

ここからは、セレンディピティが「残念な偶然」に変わった具体例をお話します。

防水スプレー「スコッチガード」

出典:news.livedoor.com

1956年に防水スプレー「スコッチガード」が誕生した経緯は、まさにセレンディピティによる偶然が大きく作用しました。

実験室の助手が誤って、特殊な乳剤が入ったフラスコをこぼしたことで、スコッチガードの主要成分「ぺルフルオロオクタンスルホン酸(PFOS)」が誕生するきっかけになりました。

しかし、やがて世界各地の研究施設から、PFOSが動物や人体から検出されたという報告が数多く寄せられ、PFOSは人体に悪影響を与えることが判明しました。

開発元である3M社は、2000年5月にスコッチガードの主要成分を変更し、PFOSの使用禁止を発表しました。

PFOSの分解しにくい性質は、長期間の耐性を保障するものであり、防汚スプレーとしては非常に望ましいものでした。

しかし、動物や人間の健康に悪影響を及ぼす可能性があるとわかったことは、「残念な偶然」としか言いようがありません。

フロンガス

もう一つの「残念な偶然」に、フロンガスが挙げられます。

1928年にアメリカのジェネラルエレクトリック社(GE)のトマス・ミジリーが家庭用冷蔵庫での使用を目指してフロンの開発を始め、1930年にフロンガスが誕生しました。

フロンガスは、燃えたり爆発したりせず、人体にも安全で安価に生産ができるため、「今世紀最大の発明」、「奇跡の化学物質」などと絶賛されました。

その後、スプレー缶の推進剤として、フロンガスは全世界に拡大していきました。

しかし、フロンガスの特性が、偶然にも大気圏にあるオゾン層を破壊することが明らかになり、使用が全面禁止となりました。

オゾン層は、太陽から放射される紫外線の多くを吸収して、わたしたちの住む地球を守ってくれています。当初、大絶賛されたフロンガスは、地球の気候変動を招く「残念な偶然」へと変わってしまったのです。

セレンディピティがもたらす偶然の出会いとは

セレンディピティとは、科学の発見のみならず人間の出会いにも広く応用できる概念です。

近年では、セレンディピティの捉え方が多様になり、雑誌では「素敵な恋人に出会う能力」や「素敵な人生に出会う能力」といったテーマの記事で特集が組まれたりしています。

何故なら、人生には、セレンディピティの導きとしか考えられないような出会いが数多く起きているからです。

たとえば、就職面接などで訪れた会場で、たまたま隣り合わせた異性と意気投合したが、連絡先を交換できずに別れてしまった。ところが数か月後、別の場所で偶然再会して連絡をとるようになり、恋人になった、というケースがあります。

あるいは、人生に行き詰まり、どうしようもないと思っていた時に、街で偶然聞こえてきた通行人の会話がヒントになり、難を切り抜けたというケースもあります。

他には、仕事がなくて困っていたら、久しぶりに会った友人が、偶然自分のやりたい仕事ができる会社の社長と知り合いで、紹介を通じて就職できたというケースもあります。

セレンディピティによって、人生が大きく変わる出来事は、日常的に起こっています。

つまり、人生における成功のポイントは、自分ではコントロールできない要素の存在をいかに認めるかにあると言えます。

確かに、どのような出会いがあるかは、コントロールできません。しかし、だからと言って不安に思うのではなく、むしろどんな出会いを運んでくるかわからない人生の流れを楽しむ、そんな余裕のある態度が、セレンディピティの感受性を高めてくれるのです。

セレンディピティを起こりやすくする6つの方法とは

最後に、セレンディピティを起こりやすくする6つの方法をお伝えします。

これらは、セレンディピティを抜きにしても、普段の生活の中で役に立つ方法です。 これらの方法を実行することによって、脳の中に、いざ幸運に出会えばそれを受け入れ、生かすための「空白」をつくることができます。

その6つの方法とは、「行動」、「気づき」、「観察」、「受容」、「理解」、「実現」です。

1.行動

まず行動を起こさなければ、セレンディピティを得ることはできません。極端に言えば、その際の目的は何でも良いのです。

Aという目的を追求していて思わずBと出会うのがセレンディピティなわけですから、当初の目的であるAにさほどこだわらなくても結構です。

目的が見つからないとくよくよ悩んで行動しないよりは、 とにかくまず行動を起こすことが大事になります。

行動してこそチャンスに出会うことができます。何かをして、初めてスタートラインに立てるのです。「目的なんて、あとからつけるもの」と気楽に考えて、何かを始めることが重要になります。

2.気づき

仮に、幸運にもセレンディピティに出会ったとしてください。しかしそのことに気づかなければ、せっかくのセレンディピティも台無しになります。

いかに、普段と変わったこと、注目すべきことに気づくかということが大切なのです。

セレンディピティに「気づく、気づかない」に関しては、何も科学上の実験だけでは なく、人生全般に応用できることです。

例えば、好きなあの子が自分を見る表情に変化があったとか、上司の自分に対する物言いが微妙に変化したとか、そのような小さなセレンディピティの徴候に気づくことが、まずは何よりも大切なのです。

3.観察

セレンディピティの徴候に気づいただけで終わりではありません。気づいたら今度はそれをよく観察することが必要です。

人間の目は、すべてを見ているようで、案外何も見ていないものです。

同じ現象と出会い、それに気づいたとしても、観察する人によって、それがセレンディピティにもなりますし、普段の一場面として終わってしまう場合もあります。

観察とは、科学の世界では基本中の基本ですが、同時に、人生全般における幸運との出会いを生かせるかどうかの分かれ目でもあるのです。

4.受容

対象を観察するだけでなく、対象を受容することが大切になります。

人間は、理性だけで生きている存在ではありません。未知の何かとの出会いは、しばしば人間に警戒心を抱かせ、時に反発したり、憎しみを抱かせたりさえします。

そのような時、いたずらに従来の自分の世界観に固執することなく、積極的に新しい事態を受け入れる。そのような態度が重要なのです。

5.理解

科学において、なぜその現象が起こったのかを理解することは、重要な過程になります。

しばしば、 発見された現象だけが知られていて、どうしてそのようなことが起こるのかわからない場合も多いのです。

セレンディピティは、現象を理解することで初めて完結するとも言えるでしょう。

X線を発見したヴィルヘルム・レントゲンにしても、目に見えない光が出ているということまでは辿りつきましたが、それがどういった原理で起こっているのかを理解できたは別の科学者でした。

いわば、実験家が科学のセレンディピティを発見して、 理論家がそれを完成させると言っても良いでしょう。

6.実現

行動を起こし、気づきを得た現象を観察、受容、理解した上で、残りは他人にそれを説明したり、説得したりして、社会に認知させていく過程が必要となります。

科学で言えば、自分だけがわかっていても、何にもなりません。

他人にわかりやすい形で論文などの形にまとめ、世界中の科学者に認めてもらわなければなりません。

セレンディピティが、テクノロジーの分野において起こった場合は、なおさらです。 せっかくの画期的な新技術の発明も、それが社会に広がって人々に使われなければ、宝の持ち腐れです。

自分では歴史を変える発明だと確信していても、それを世間に広めるためには、人を説得し、資金を集め、ビジネスとして成り立たせるという、息が長く、一筋縄ではいかない、泥臭い努力が必要となるのです。

以上のような、広い意味での実現のプロセスが、セレンディピティを最終的に完成させる、ある意味ではもっとも大変なステップと言えるかもしれません。

最後に

稀代の発明王、トーマス・アルバ・エジソンは、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力の賜物である」という有名な言葉を残しています。

この言葉は、セレンディピティに出会い、それを生かす道筋のことを言っているのだろうと思います。

「99%の努力」というのは、言うまでもなく、日ごろの地道な努力や、セレンディピティに出会った後にそれを実現する過程とを指しているのでしょう。

それに対して、「1%のひらめき」というのは、セレンディピティに出会い、 それに気づく過程を指しているのでしょう。

何かに気づいた時のひらめきは、本当に一瞬のできごとです。

その一瞬を生かすためには、普段の地道な努力が必要になるわけです。

そのような意味で言うと、先のエジソンの言葉は、とても教訓的で曖昧なようでいて、 実はとても具体的な言葉なのです。

私たちの日常は、その1%のひらめきを迎える準備をするためにあるといっても過言ではないでしょう。

是非、皆さんそれぞれが、素敵なセレンディピティを発見してください。

心から、皆さんの幸せを願っています。

[参考書籍]

1)池内了(著)「知識ゼロからの科学史入門」<幻冬舎>

2)大野正人(著)「失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!」<文響社>

3)斎藤憲(著)「アルキメデス『方法』の謎を解く」<岩波書店>

4)杉晴夫「天才たちの科学史 発見に隠された虚像と実像」<平凡社>

5)竹内慶夫編訳 「セレンディップと三人の王子たち~ペルシアのおとぎ話~」<偕成社文庫>

6)知的創造研究会(著)「ひらめきスイッチ大全」<日経ビジネス人文庫>

7)西沢泰生(著) 「壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方」<アスコム>

8)藤島昭(編)「時代を変えた科学者の名言」<東京書籍>

9)茂木健一郎(著)「ひらめき脳」<新潮社>

10)茂木健一郎(著)「プロフェッショナルたちの脳活用法」NHK出版

11)アーリング・ノルビ(著)千葉喜久枝(訳)「ノーベル賞はこうして決まる 選考者が語る自然科学三賞の真実」<創元社>

12)シーナ・アイエンガ-(著)櫻井祐子(訳)「選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義」<文春文庫>

13)ジャック・チャロナー(編)小巻靖子(訳)松浦弘(訳)安藤貴子(訳)プレシ南日子(訳)「人類の歴史を変えた発明1001」<ゆまに書房>

14)ジョン・タウンゼンド(著)吉井 知代子(訳)「科学者たちの挑戦 ― 失敗を重ねて成功したウソのようなホントの科学のはなし」<ゆまに書房>

15)ジョン・ファーンドン(著)・長田亨一(訳)「世界を変えた科学者たち」<悠光堂>

16)スペースタイム「科学史ひらめき図鑑 世界を変えた科学者70人のブレイクスルー」<ナツメ社>

17)ピーター・ムーア、マーク・フレアリー(著)小林朋則(訳)「図説 世界を変えた50の科学」<原書房>

18)ベン・イケンソン(著)村井理子(訳)「こうして特許製品は誕生した!」<二見書房>

19)リチャード・ゴーガン(著)「天才科学者のひらめき36 世界を変えた大発見物語」<創元社>

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